ロシアがウクライナに侵攻しました。この間の出来事について、私は、三つの点で見通し
を間違えていました。一つは、プーチン大統領の狙いです。プーチンは、昨年末からウクラ
イナ国境近くに多数の軍を配置して大規模な演習を行っていました。私は、かねてから内戦
状態にあった同国東部2州の支配を目指す行動だと思っていました。それにしては、軍の配
置が大掛かりすぎるわけですが、欧米の干渉を恐れて、戦争瀬戸際の危機を演出しているに
すぎない、ということです。
戦争を決断するには、目的の重大性、戦争のコストに耐えること、そして戦争の大義が必
要です。プーチンが国内向けに強い指導者をアピールするには、「東部2州のロシア人の保
護」というのは、一応理由が付きます。しかし、ウクライナに全面侵攻すれば欧米が黙って
いない。相当なコストを覚悟しなければならないうえに、NATOに加入していないウクラ
イナがロシアにとって脅威であるはずはないので、戦争の大義もない。
イラク戦争でさえ、間違いではあったものの、「イラクが大量破壊兵器を持ち米国に対し
て使おうとしている」という先制攻撃の「大義」がありました。プーチンが言う「ウクライ
ナがNATOに加入すれば脅威だ」というのは、現にそういう動きがない段階では、先制攻
撃以前の「予防戦争」にすぎません。この論理が成り立つならば、米国はとっくに中国を攻
撃しています。
しかし、プーチンのNATOへの恨みや恐怖は、そんな「常識」を受けつけなかった。こ
れが二つ目の見込み違いです。そして三つ目は、欧米は、ロシアが二の足を踏むようなコス
トを示さなかったことです。
プーチンは一貫して、NATO不拡大を要求していました。ソ連崩壊後、NATOが東方
に拡大し、ポーランド、ルーマニアに加え、ロシアと国境を接する沿バルト3国が加入しま
した。これらは小国ですが、広大な国境を接するウクライナが加入すれば、ロシアの南と西
がNATOに囲まれる。その恐怖感は、地政学的には理解できなくもない。だから私は、ロ
シアを暴走させないためにはウクライナがNATOに加入せず、ロシアから見た「緩衝地帯」
であり続けるという「安心供与(reassurance)」がカギになると思っていました。だが、欧
米は一貫してこれを拒否し、プーチンは不満を募らせていました。
これは、ロシアを抑止する観点からも不十分なものでした。「ウクライナがNATOに加
入しなくとも安心できるロシア側からの保証」を求める姿勢で交渉すれば、論理的には、戦
争という選択を封じ込めることができたのではないか、と思います。
マクロン仏大統領とショルツ独首相は、キエフやモスクワを回って仲介を試みていまし
た。私は、その姿勢を評価していました。結果としては、「中級国の仲介の限界」を示すこ
とになってしまいましたが、プーチンの狙いが「東部2州」にとどまっていたなら、また、
「NATOの拡大をしない」というカードがあれば、仲介は成功の可能性があったと思いま
す。
一方、欧米は、ウクライナの側に立つことを約束し、ロシアには最大規模の制裁を警告し
ていました。もちろん、軍事介入を約束したわけではないでしょう。そこは、欧米ともに慎
重です。しかし結果的には、欧米の支援をあてにしたウクライナを「けしかける」形となり、
妥協を難しくしたことは否めません。
私は今、三つのことに怒っています。一つは、当然ながら、戦争を始めた独裁者プーチン
に対する怒りです。自分の野心のために兵士や市民の命を顧みないことが人として許し難
い。20年も独裁権力を握ってきたプーチンは、権力維持を自己目的とし、それが国家を救
うことだという発想がある。そこに、国民の幸せという視点はない。批判を受け容れない権
力の怖さは、そこにあります。権力は必ず「道徳的に」腐敗する。
国連憲章2条4項は「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武
力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的
と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」と述べています。プ
ーチンの行為は、これに真っ向から違反しています。
二つ目は、プーチンが「ロシアは核大国である」と公言していることです。「ロシアと戦
争すれば核を使う、だから文句を言うな。」と国際社会を脅しているのです。核は、もっぱ
ら抑止のために必要であると考えられてきました。核を使うような戦争をしないために、い
わば「使わないための兵器」として存在が認められてきました。核の使用を前面に出して他
国を威すことで、プーチンは、世界の人々の命を何とも思っていないことを証明しています。
こんな論理もまた、許してはいけない。
この二つの点でプーチンの戦争は、第2次大戦後の世界秩序を根底から覆すものです。
三つ目には、自分が血を流して守るつもりもないのに、結果的にウクライナをけしかけ、
見棄てることになった欧米諸国の「裏切り」です。軍隊を送らなくても、ロシア経済を破綻
させるような制裁を予告していましたが、実際にはプーチン個人の資産凍結のようなシン
ボリックなことしかやっていない。大規模な経済制裁は、対象国内の弱者を直撃しますから、
決して人道的とは言えない。ただ、戦争という究極の人道危機を防ぐためには必要な場合も
あると思っていましたが、それすらできていない。
街なかで暴漢に立ち向かう青年を、「俺たちがついている」と応援しながら、いざ彼がボ
コボコにやられると、「あれはうちの子ではないから」と見て見ぬふりをすることなど、で
きませんよね。しかし、いま私たちが目にしているのは、そういう構図です。これは、見通
しを間違っていた私にとっては、怒りというよりトラウマとして残るでしょう。私には、何
の政治的力もないけれど、一人の市民として感じる不条理を見過ごせないのです。
では、私たちに何が問われているのか。
「台湾有事で中国も同じことをするのではないか」とか、「ウクライナは米国の同盟国で
はないからやられた」という発想が出てきます。それは、一面の真理だと思います。しかし、
「台湾はご近所だが、ウクライナは隣町の話だから仕方ない」で済ませていいのだろうか。
「自分のことを優先するのは当たり前」だとしても、「他国のことは無視して当たり前」で
はないと思います。
今回の経緯の中で私たちは、「戦争」を映像として見ています。戦争をしてはいけないと
いう思いが自然に出てきます。それは、遠いか近いかに関わりません。そこを出発点にしま
しょう。まずは、プーチンのような政治家に本当の代償を払わせなければなりません。代償
は、今の戦争を止めるのではなく、将来の戦争を止めるためです。
国連安全保障理事会は、ロシアと中国が常任理事国として拒否権を持っています。それは、
国連の理想を実現するためであって、自ら国連憲章を踏みにじるような国が特権的な権利
を持っていては、国連は成り立たない。今、改めてこうした国連の仕組みの見直しを求めた
いと思います。それは、今日のウクライナが明日の自分の運命かもしれない中小国の意見を
反映するものでなければなりません。日本は、国連総会でこうした議論を起こすべきだと思
います。
そして、核の脅しにも国際世論を結集して対抗しなければなりません。この機会に、「核
の先制不使用」をすべての大国に約束させることは、不可能ではないと思います。大国には
特別な「わがまま」が許されるのではなく、特別な自重の責任があることを示していく。そ
の姿勢が、気候変動や感染症対策など、人類共通の課題にもつながっていくと思います。
私は、こうしたことを、野党を含めた政治に求めたい。政治がやらなければ、市民がやら
なければなりません。ロシアでも、反戦デモが起き、プーチンが躍起になって弾圧していま
す。やはり、市民の力は無視できないのです。
日本の憲法前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生
存を保持しようと決意した」とあります。公正と信義を踏みにじる国やリーダーがいれば、
立ち向かわなければならない。その意味でウクライナは、「国際社会と協調して」行動する
以前に、日本自身の問題としてとらえなければならないと思います。
「一人の力は微力だが無力ではない。」これは、知り合いの民族派右翼の活動家から聞い
た言葉ですが、私は、この言葉を信じたいと思います。そうでなければ、ウクライナの悲劇
はくり返されると思うからです。
2022/3/27 国際地政学研究所 理事長 柳澤 協二