今日、自衛官には国民に負託された国民の生命財産の保護、国の主権維持、災害派遣などの非軍事的役割、新たに武器の使用を伴う国際社会の安全保障(PKO)などの任務が課せられている。
自衛官の宣誓、自衛官の心構えには、任務遂行の使命感として「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、一身の利害を越えて公につくす」とあり、職業倫理に自己犠牲の覚悟を求めている。
この役割を果たすため自衛隊には、命令・服従を律する指揮系統があって、その最高位指揮官が内閣総理大臣であり、次位に防衛大臣がいる。この2名だけが文官指揮官である。
自衛隊は「駆けつけ警護」など武器の使用に至れば、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で、「殺(や)るか、殺(や)られるか」の葛藤に直面する。ところが、自衛隊指揮官の国会答弁は、人の感情の機微に思いが及ぶなど皆無に等しい杓子定規で自衛隊員の「覚悟」と乖離した言葉遊びに陥った。
クラウゼヴィッツの「戦争は政治の継続である」は、換言すれば「自衛隊の海外派遣は、政治の継続であり、自衛隊は政争の具である」との観が拭(ぬぐ)えない。
稲田朋美防衛大臣就任後、駆けつけ警護や共同防護発令、舌の根も乾かぬうちの国民が理解できない撤収と、陸自PKO派遣部隊の翻弄が続いた。それは、南スーダンの都合や期待を忖度していない、また前線にいる自衛隊員の懸命を斟酌できない「政争の象徴」でもある。
この渦中に稲田防衛大臣がいる。国会での「戦闘」の解釈に関する言い合いには実りがない。腹立たしいのは、『日報』の扱いをめぐり、指揮官として部下の失敗の責任を共に負う、あるいは「尻を拭く」のではなく、部下に責任を押し付け、指揮官自から部下を非難したことだ。
相前後した「某学園某理事長」との関係で二転三転した答弁同様、それは「戦闘」を捻じ曲げた答弁に端を発して自ら蒔(ま)いた種子ではないか。ここに至り指揮官の資質を疑うのは早計だろうか。
じかに隊員と接する機会の多い防衛大臣の指揮・統率は、その「一挙手一投足」に注目する部下隊員を感化、薫陶する。今日の自衛隊における命令・服従の関係は、徴兵時代の盲目的服従と異なり、指揮官の良し悪しが精強性を左右する。それは、任務遂行の意欲をかき立てる根源となり、指揮官次第で部下が命懸けになれるという、高いレベルの徳と識見に基づく特筆すべき「優れた統率の現象」でもある。
昨年10月、稲田防衛大臣は、「駆けつけ警護」発令に先んじて、PKO派遣の要件を満たす政府判断の一助を得るため南スーダン派遣陸自部隊を視察した。その立場は、閣僚である政治家であり、自衛隊の指揮官であった。視察の結果、自衛隊指揮官としてのアピールは希薄だった。報道の範囲であるが、隊員に対する訓示は、指揮官が一身に責任を負い、隊員を気遣い、士気の高揚を図るのではなく、閣僚である政治家としての姿勢が強調され、自衛隊派遣の妥当性に適う有利な政争の具を求める立場を示したにとどまっていた。
視察中、危険な状況の証として、「避難民向け退避壕構築」「自動小銃携行の政府軍兵士約10人、トラック2台が稲田防衛大臣一向の陸自防弾四駆のジュバ市内移動を警護」「視察当日、首都ジュバ近傍の幹線道路でトラックが銃撃され市民21人が殺されたと南スーダン政府が発表」があったが、これらは顧みられてない。
また、イラク派遣隊員が鉄帽、防弾チョッキ着装で受察する中、稲田防衛大臣の軽装は、現地の治安は落ち着いているという意図的パーフォーマンスではないかと疑うほど遊離していた。残念ながら、そこには、身命を賭して努めている隊員と共有できる思い入れは見つからなかった。
稲田防衛大臣は、帰国後の国会で「法的な意味における『戦闘行為』ではなく、『衝突』であると思う」と述べ、安倍首相も「『戦闘』の定義がないから、『戦闘行為』ではなかった。しかし、武器を使って殺傷、あるいは物を破壊する行為はあった」と政治的、法的見解を述べた。
2013年12月の『防衛研究所ニュース』に「戦争の概念変化」を紹介し、「国際社会においては、21世紀の『新たな戦争』を国家間の武力衝突に加え、テロ、内紛などほぼ全ての武力衝突、殺戮・破壊を指して言うようになっている」と指摘している。だが、国会は、国際社会の通念とする「戦争」や「PKO」と乖離していた。
稲田防衛大臣が不祥の諸事象について言葉を弄し、指揮官自ら組織を貶めた悪影響は大きい。限られた情報に拠る批判が的を射てない恐れがある。しかし、改めて「防衛大臣職」に求められる資格を問う機会が得られたことについては良としたい。残念ながら、日本の安全保障の弱点はシビリアン・コントロールにあるとは言い過ぎであろうか。