木曜日のワークショップはありがとうございました。非常に勉強になりました。拝聴させて頂き、「抑止力」について私なりに3点質問がございます。
Q-1:抑止力に関する石津室長と渡邊副理事長の主張を拝聴致しましての質問です。
石津室長は、「最良の抑止は敵対関係を創らないこと」と述べられています。渡邊副理事長は、ご発言の中で「脅威を与えない政策は抑止力ではないのではないか。」、また、「抑止力を高めるために国際的な情報発信能力が必要であり国民の覚悟が必要」と述べられました。渡邊副理事長の最初の部分を言い変えると「抑止力は脅威を与える政策である」になるかと思います。石津室長、渡邊副理事長それぞれ仰っていることはその通りだと思いますが、二律相反とも考えられると思います。石津室長、渡邊副理事長双方の主張を踏まえた上で、如何に抑止力を確保するのがよいのかご教示頂きたいです。
(実際に、某国は、某国の高校までの歴史教育において従軍慰安婦の話を更に強化すると述べています。→日本政府は、反発しています。→双方の主張の違いにより摩擦が生じ、(日本政府が正しい主張をしても(場合によっては、外国政府が日本に共感しても))最終的に敵対関係に発展するのではないかと思う次第だからです。)
(実際に、某国は、某国の高校までの歴史教育において従軍慰安婦の話を更に強化すると述べています。→日本政府は、反発しています。→双方の主張の違いにより摩擦が生じ、(日本政府が正しい主張をしても(場合によっては、外国政府が日本に共感しても))最終的に敵対関係に発展するのではないかと思う次第だからです。)
Comment:(渡邊)「抑止力」の捉え方
ご指摘の通り、石津先生と小生の考え方は違っています。しかし、二律背反ではないと考えます。要するに、両者の違いは「リアリズム」なのか「リベラル」なのかの違いであると考えます。当然、リアリストもリベラリストも極端なものから中庸なものまで幅があります。
一般に現場の人間(軍人)はリアリストが多い・・・当然の帰結だと思います。リアリストは、ワークショップで披瀝しましたように、そもそも「抑止力」を信じない傾向があります。
正確に言うと、「『核抑止』を除き、国の安全保障を通常戦力などの「抑止力」に大きく依存すること自体がリスクを伴う」と考える傾向があります。それは、「抑止」が破たんした場合のリスクを重要視するからです。
有体に言えば、リベラル抑止やクロスドメインの抑止が有効に機能するならば、防衛力の拡大や近代化は現状程度で十分であるという論理になるでしょう。 (もっともこれは、「対処力」の最適な質的・量的規模のことを論じてはいません、念のため。)
しかし、国家の政策上、相手との力の均衡を保つに必要な防衛力を確保できない場合、「同盟」や「抑止力」によってその力の差を埋めることに対してどの程度のリスクを覚悟すべきなのか、我が国はこれまであまり議論してこなかったのではないかと指摘したいと思います。
いずれにしても、現在紛争がない、なかったということは、ストレートに「抑止」が機能しているという証明にはならないわけです。そのためには、シェリングの言う、結果予測と実際の結果との分析が必要でしょう。
一般に現場の人間(軍人)はリアリストが多い・・・当然の帰結だと思います。リアリストは、ワークショップで披瀝しましたように、そもそも「抑止力」を信じない傾向があります。
正確に言うと、「『核抑止』を除き、国の安全保障を通常戦力などの「抑止力」に大きく依存すること自体がリスクを伴う」と考える傾向があります。それは、「抑止」が破たんした場合のリスクを重要視するからです。
有体に言えば、リベラル抑止やクロスドメインの抑止が有効に機能するならば、防衛力の拡大や近代化は現状程度で十分であるという論理になるでしょう。 (もっともこれは、「対処力」の最適な質的・量的規模のことを論じてはいません、念のため。)
しかし、国家の政策上、相手との力の均衡を保つに必要な防衛力を確保できない場合、「同盟」や「抑止力」によってその力の差を埋めることに対してどの程度のリスクを覚悟すべきなのか、我が国はこれまであまり議論してこなかったのではないかと指摘したいと思います。
いずれにしても、現在紛争がない、なかったということは、ストレートに「抑止」が機能しているという証明にはならないわけです。そのためには、シェリングの言う、結果予測と実際の結果との分析が必要でしょう。
Remarks:「二律背反ではない」と「現在紛争がない、なかったということは、ストレートに「抑止」が機能しているという証明にはならない」とご指摘されている点について、副理事長の見解を踏まえ、考えれば考えるほど御尤もだと思うようになりました。
「二律背反ではない」という点については、アプローチの仕方には幅があるのは承知していましたが、同じ目的を達成するという前提が私に欠落していたと思います。
副理事長のご指摘された(私の欠落した)部分を踏まえると、「どの程度のリスクを覚悟すべきなのか、我が国はこれまであまり議論してこなかったのではないかと指摘したい」に繋がると私なりに考えます。今後は、どの程度のリスクを覚悟すべきかは、パネリストの方々の討論ができそうな感じがしました。
また、「現在紛争がない、なかったということは、ストレートに「抑止」が機能しているという証明にはならない」という点についても御尤もだと思いました。これを踏まえ、私自身が別の例をあげるなら、「服務規律違反が起きていない、なかったということは、隊員指導が行き届いている。これは本当にそうかという証明にはならない。」と同じ感じもします。
「二律背反ではない」という点については、アプローチの仕方には幅があるのは承知していましたが、同じ目的を達成するという前提が私に欠落していたと思います。
副理事長のご指摘された(私の欠落した)部分を踏まえると、「どの程度のリスクを覚悟すべきなのか、我が国はこれまであまり議論してこなかったのではないかと指摘したい」に繋がると私なりに考えます。今後は、どの程度のリスクを覚悟すべきかは、パネリストの方々の討論ができそうな感じがしました。
また、「現在紛争がない、なかったということは、ストレートに「抑止」が機能しているという証明にはならない」という点についても御尤もだと思いました。これを踏まえ、私自身が別の例をあげるなら、「服務規律違反が起きていない、なかったということは、隊員指導が行き届いている。これは本当にそうかという証明にはならない。」と同じ感じもします。
Q-2:抑止力に関する柳澤理事長の主張を拝聴致しましての質問です。
柳澤理事長は、ご発言の中で抑止力に関して「米国は核を保有している、中国はレアメタルを保有しており、何かあれば「使う・使わない」の選択肢をもつことができる。しかし、日本はそういったものを持っていない。(意訳)」のようなことをおっしゃっていました。私が疑問をもったのは、「日本はそういったものを持っていない。」という点です。先端技術や研究開発と言った分野では世界のトップレベルであると認識していますが、抑止力としてこれらを選択肢として持つことはできないでしょうかご教示頂きたいです。
(日本の技術力は高く、ブラックボックスのような物が多数装備品等に組み込まれていれば遠方から稼働率をコントロールできるのではないかと思う次第だからです。)
(日本の技術力は高く、ブラックボックスのような物が多数装備品等に組み込まれていれば遠方から稼働率をコントロールできるのではないかと思う次第だからです。)
Comment:(栁澤)抑止力
中国のレアメタルに触れれば、国家意思の強制の手段として使えるとは思います。ただし、アメリカの軍事力に対比できるものではない。また、これが日本に向けられた場合、日本が戦争を選択することはできないし、アメリカも、戦争の選択肢はない。むしろ、ほかの条件が平穏であれば、WTOを通じて解決する問題だと思います。
同様な意味の非軍事的手段は、日本にもあるとは思いますが、技術のようなものはより長期的な影響の手段です。コンピューターに組み込まれた自国製の部品によって機能を狂わせるようなことは、当然自国にも跳ね返ってくることになるので、それ自体が戦争や抑止の手段というより、物理的破壊の補完をするもの(防空システムを機能させなくするなど)、という意味で、戦争の一部だと思います。
これを含むソフト・パワーは、抑止=強制ではなく、相手が自然に受け入れるところに意味があるので、むしろ「敵を作らない」文脈で考えるべきだと思います。
同様な意味の非軍事的手段は、日本にもあるとは思いますが、技術のようなものはより長期的な影響の手段です。コンピューターに組み込まれた自国製の部品によって機能を狂わせるようなことは、当然自国にも跳ね返ってくることになるので、それ自体が戦争や抑止の手段というより、物理的破壊の補完をするもの(防空システムを機能させなくするなど)、という意味で、戦争の一部だと思います。
これを含むソフト・パワーは、抑止=強制ではなく、相手が自然に受け入れるところに意味があるので、むしろ「敵を作らない」文脈で考えるべきだと思います。
Remarks:お忙しい中、ご教示ありがとうございました。納得できました。特に、「抑止=強制ではなく、相手が自然に受け入れるところに意味がある」という点において、感化(教導)、統御のようなイメージで捉えていましたが、非常に重要で意味があることを失念しておりました。
また、「自国製の部品によって機能を狂わせるようなことは、当然自国にも跳ね返ってくることになる」という点においても、「自国に跳ね返ってくる」という視点が私に欠落していたことを認識できました。
一国だけ(日本独自)での防衛は現実的でない中、他国との同盟が必要不可欠であり、その他国へも影響を及ぼすことは得策ではないことから、「敵を作らない文脈で考えるべき」というご指摘にも納得できました。
また、「自国製の部品によって機能を狂わせるようなことは、当然自国にも跳ね返ってくることになる」という点においても、「自国に跳ね返ってくる」という視点が私に欠落していたことを認識できました。
一国だけ(日本独自)での防衛は現実的でない中、他国との同盟が必要不可欠であり、その他国へも影響を及ぼすことは得策ではないことから、「敵を作らない文脈で考えるべき」というご指摘にも納得できました。
Q:NSC
「抑止力に明確な定義がなく、よくわからないものである」という主張を踏まえてですが、抑止力がよくわからないものであっても抑止力は高めていかなければならないと思います。
ただ、抑止力を高めるために努力をするといっても、明確な定義がなければ目標を設定することができず、政策において考え方等がぶれてしまい、一貫性を保つことができないのではないかと思います。なんとなく(中途半端)で終わってしまうのではないかと危惧しています。そのような中、安倍政権は、国家安全保障会議(日本版NSC)を設立し、外交、防衛、等を総合的に捉え国家戦略を立てると述べています。ただ、国家安全保障会議(日本版NSC)の活動は見えません。(内容を公開しろという意味ではありません。)
現在、国家安全保障会議は機能している(役割を果たしている)のかご教示頂きたいです。
ただ、抑止力を高めるために努力をするといっても、明確な定義がなければ目標を設定することができず、政策において考え方等がぶれてしまい、一貫性を保つことができないのではないかと思います。なんとなく(中途半端)で終わってしまうのではないかと危惧しています。そのような中、安倍政権は、国家安全保障会議(日本版NSC)を設立し、外交、防衛、等を総合的に捉え国家戦略を立てると述べています。ただ、国家安全保障会議(日本版NSC)の活動は見えません。(内容を公開しろという意味ではありません。)
現在、国家安全保障会議は機能している(役割を果たしている)のかご教示頂きたいです。
Comment:(渡邊副理事長)日本版NSCについて
さて、一般の国民と違って、「安全保障を仕事とする人々」または、「国民に対し現場で責任を果たすことを求められている人々」には、「何よりも客観的・現実的に(思想としてのリアリズムではなく)状況を見るべきである」としか言いようがありません。
何よりも、(足りているかどうかは別にして)国民が知りえない独自の情報資料と分析能力があるわけですから、現場を知らない評論家やましてや政治家などの言葉以上の確かなものを持っていることが望まれる。「持つべき」だと考えます。そこに、安全保障の核心があると私は見ています。
小生の現役時代と比較しても、大変に厳しい未来のようにも見えますが、このような議論が行われること自体、時代は進んでいることも事実でしょう。
何よりも、(足りているかどうかは別にして)国民が知りえない独自の情報資料と分析能力があるわけですから、現場を知らない評論家やましてや政治家などの言葉以上の確かなものを持っていることが望まれる。「持つべき」だと考えます。そこに、安全保障の核心があると私は見ています。
小生の現役時代と比較しても、大変に厳しい未来のようにも見えますが、このような議論が行われること自体、時代は進んでいることも事実でしょう。
Remarks:日本版NSCに関するご教示、ありがとうございます。今後、副理事長がご指摘されたことを基礎に、日本版NSCは機能できているか、あるべき姿に近づいているかを注視し、勉強したいと思います。